こんにちは、isseiです。
現在、会社勤めしながら漫画を描いています。
大学在学中から現在に至るまでのプロフィールを用意しました。
「長い!」と思った方は、見出しの大文字だけを拾い読みするとすぐ読めます。
就活しない大学生。バイトで貯めた100万円で中国語学留学へ
大学在学中に、中国へ短期の語学研修。そこで出会った日本語学科の学生たちの流暢に話す日本語に触発される。
帰国後、大学三年生からの2年間アルバイトし、約100万円貯金。卒業後、中国浙江省杭州市へ語学留学をする。(就職氷河期であったそうだが、まったく就職活動をしていなかったため実感無し)
留学先でドロップアウト…しかし、友人・知人の助けがあって中国語習得
浙江大学へ留学。漢語進修生という身分で在籍。
留学当時の2003年、原因不明とされた肺炎(SARS)が大流行。たしか、400〜500人ぐらいいた留学生の半分は帰国。残った留学生同士の友情は深まる。
留学当初の私の中国語レベルは、読み・描き・発音ともまずまずだが、ヒアリングが決定的にダメだった。にもかかわらず、すごくレベルの高いクラスに編入される。
授業についていけず、約1ヶ月後、不登校に…。
ふてくされていた私を見かねてか(?)、中国人の友人から、夜市(ナイトマーケット)でTシャツを売っている友人を紹介される。
週2〜3回、店の手伝いをしながら実践でヒアリングをきたえる。「歓迎光臨(訳:いらっしゃいませ)」と客引きしていたが、客はドン引き。「夜市でそんなことを言う店員はいない」と友人から注意されるも、この体験があって、半年後、次の学期から授業に出始める。(語学留学の場合、学期は半年単位)
ジャンプデジタル漫画賞で努力賞、5万円獲得
留学中のSARSの体験を元ネタに描いた漫画を「第2回ジャンプデジタル漫画賞」に応募。努力賞に入賞し、5万円を獲得。5万円は留学生同士の飲み会で消えた…。
すでに賞自体のウェブサイトは削除されているが、当時審査員であった渡辺浩弐さんのブログにわずかな記載が。この受賞した2年後に、中国のあるイベントで偶然、ご本人とお会いすることができて感動する。
阪神優勝がきっかけで、中国の現地企業に就職
2003年、当時プロ野球の阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝! 留学中はもちろんテレビで日本の番組は見れないので、ネットでリアルタイムで更新されるYahoo!のページを見ながら応援。
阪神優勝がうれしすぎて、この喜びを共有したいとの思いから壁新聞を作成。留学生の宿舎1階のロビーの掲示板に貼る。それを見た知人の日本人留学生から、杭州の情報サイトを立ち上げるので手伝って欲しいと誘われる。ちょっとおもしろそうなやつ、と思ったらしい。(ちなみに後日知ったことだが、中国では勝手に印刷物を作成し情報発信してはいけないのだと、中国人の友人から注意される。)(2022年追記:サイトは残念ながら閉鎖したようです)
市内のマップを作ったり、取材したり、情報サイトの手伝いは楽しく、「あっ」という間に終わる。
知人から、中国人の社長を紹介される。アニメの版権ビジネスをする会社を立ち上げるとの話しを、龍井茶(ロンジンチャ 杭州の名産)を飲みながら聞く。そして後日、「よかったら会社にこないか?」とさそわれる。
月給4000元(約5万円)。社長から「私よりキミの給料は高い」と言われる
中国人20名、日本人は私だけの現地中国企業に就職。
社長との給料の交渉時、当時、杭州市で現地企業に採用される日本人の相場が4000〜5000元ぐらいだったので、とりあえず4000元を提示。
給料交渉があっさり済んだので、日本の国民保険分の上乗せを検討。しかし、「すでに社長の私よりもキミの給料は高いから、あとはグループ会社の総裁に聞いてみないとわからない」と言われビビる。
「総経理」という肩書は中国語で社長の意味、そして「総裁」が総経理よりも上ということを知る。
部下無し、一人部長を経験
日本総務部に在籍、肩書は部長。(……2016年現在、私の最高役職w)
同僚は全員中国人。仕事中にパソコンでチャットする同僚、ひまわりの種を食べ続けたりする同僚がいるかと思えば、一方ではモーレツに働く同僚も。
とりあえず、最低限のビジネスマナーを身につけたいと思いメルマガの購読を開始。選んだのは「がんばれ社長!」というタイトルのメルマガ。
中国でアニメイベントを開催! 中国のコスプレ人気の高さを実感
杭州市で初のアニメイベントを開催。中国ではコスプレが人気、ということで日本からコスプレイヤーを招聘することになる。(ちなみに、のちの中国最大規模と言われるアニメイベントのきっかけとなったイベント)
イベント当日の盛り上がりはすさまじく、地元テレビ局で日本人コスプレイヤーによる特番が組まれるほど盛況。
このとき仲良くなった中国人コスプレヤーの子たちが、世界コスプレサミットの中国代表選考会を開催。その後、2005年から2008年にかけて、4組の中国代表をサポートする。
ブログがきっかけで転職、上海へ
2005年に中国政府が海外アニメのテレビ放映を規制。版権ビジネスという事業が困難となり、私の居場所が無くなる……。
当時、中国のアニメやマンガに関するブログを書いていた私。それを見ていた人から「一度会って話しましょう」と誘われる。そして、それがきっかけで上海の会社へ転職。
月給8000元(約10万円)。未経験だがTV番組のディレクターに
月給は前職の倍、約10万円に。就職したのは中国現地のテレビ番組の制作会社。
番組制作の経験など一切なかったが、入社半年後にはある番組のディレクターを任される。
前職も含めての感想だが、中国では、やる気さえあれば経験や社歴に関係無く、すぐに責任ある仕事が与えられる気がする。例えるなら、チャンスが回ってくる機会が、早くて多い。
ブログがきっかけで2度目の転職、東京へ
不定期にブログを更新していたら、またもや「お話を聞かせてください」との連絡が入る。相手は日本人。「一茶一坐(CHA MATE)」というカフェで待ち合わせ。「可能性を秘めたビジネスモデル」の話を、秘密保持契約を結んでから聞く。そして、誘われるがままに転職。
転職先は日本の会社。所持金が残り10万円を切っていたので、上海の港から「新鑑真」の船に乗って帰国。神戸港着、そして東京へ。
手取りで月給20万円弱だったが…
結論から言うと、1年弱であえなく事業終了。
いま振り返れば、5年ぐらい時代を先取りしたビジネスモデルだったかも。当時、スマホが普及していれば、また違った景色があったかもしれないなあ……。
そして3度目の転職。年収だと倍に。もしブログが無かったら……
3度目の転職、4社目。現在の勤め先。
月給はあまり変わらないが、年収ベースでは色々手当がついてほぼ倍に。月給5万円の頃の私を知る人からは、「isseiさん、どうしちゃったの!?」と驚かれる。
このきっかけも、上海で知り合った日本人の方からのおさそい。不定期に交流する機会があった。
もしブログをやっていなければ……、情報発信するために中国のアニメやマンガに関する情報収集していなかっただろう。そして交流する機会も訪れなかったかもしれない。
ブログがきっかけで書籍に寄稿
上海万博開幕の前年、知人を介してとあるライターの方から連絡をもらう。「来年の上海万博前に、複数の筆者による上海本を作る企画がある。コスプレに関して寄稿してもらえないか」とのオファーに迷わず快諾。書籍名は上海路地裏万博。そのときの巻末のプロフィールは下記のとおり。
会社員。2004年に浙江省杭州市に留学した体験をまとめたものがジャンプデジタルマンガ賞で編集部奨励賞を受賞。2005年から2008年までは世界コスプレサミットに出場する中国代表を裏方としてサポート。
ちなみにこの時期「上海BROS」という上海在住の日本人向けフリーペーパーからもオファーをもらい、毎月2ページのマンガを連載する。タイトルは「萌えは中国にアリ!」。連載は約2年続き、毎月締め切りの緊張感を味わう。
ほぼ日手帳に3年、休むこともあるけれど、漫画を描き続ける
4社目に就職後、毎日忙しく過ごす。結婚、出産、育児……と、目まぐるしく環境が変化する。
2012年ごろから、ほぼ日手帳に漫画を描き始める。
ほぼ日手帳公式ガイドブック2022に載る
ほぼ日のかたからご連絡をいただき、ガイドブックに載せていただく。しかも見開きで2ページも。「毎日描き続けたかいがあったなぁ」とうれしく思う。
現在に至る。
(※このページの最終更新日時:2023年3月)